おわりに

 6000年間の5惑星会合において,密集度からするとトップはBC1953年に,3番目はBC1059年に起っている。では2番目は? それは710年6月末,玄宗の即位前夜で盛唐の都である長安が国際都市として栄えた頃である。 これについての記録をご存知の方はぜひともお知らせ願いたい。
この小文は中国古代史を解説するものでもないし,ましてや占星術を論じるものでもない。煩雑な惑星軌道計算を視覚的に表示するソフトによる計算結果と歴史上の記録との照合の試みである。大略は[11]に基づいているが,詳しくは以下の文献を参照されたい。この惑星軌道図や全天星図の日付はグレゴリウス暦となっているが,本文中ではユリウス暦に変換した。なおこれらの図は[10]の付属CDで再現できる。  


[1]       「史記」              ちくま学芸文庫
[2]       「漢書」              ちくま学芸文庫
[3]       「天体位置表」     海上保安庁
[4]  貝塚茂樹  「中国のあけぼの」  河出書房   1968
[5] 斎藤国冶  「古天文学」     恒星社厚生閣 1989
[6]  B.E.Schaefer Sky&Telescope   May        2000
[7]  平勢隆郎  「中国古代の予言書」 講談社新書  2000
[8] 作花一志  「天文教育」     No6      2000
[9]  作花一志  「天文教育」     No7      2001 
[10] 作花一志・中西久崇 「天文学入門」オーム社   2001 
[11] 作花一志  
「天文教育」      No8      2002
[12] 荒木俊馬  「天文年代学講話」  恒星社    1951
[13] 長谷川一郎 「ハレー彗星物語」   恒星社厚生閣 1985
[14]       読売新聞           2000年11月11日