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京都市電保存の意味

京都は日本で初めて市電が走った街です。明治28年のことです。その前年に設立された京都電気鉄道株式会社が,京都駅~伏見間において日本初の市電営業を開始しました。当時,東京遷都により都市としての輝きを失いかけていた京都を,市民は,持ち前の進取の気性で産業の発展に努め,甦らせました。日本初の市電という事実から,当時の京都市民の気概を感じ取ることができます。その後,市電は京都市民の生活に深く溶け込んでいきました。 しかし昭和40年代になると,自家用車が道路に溢れ,市電は邪魔物的な存在となっていきました。

その頃の写真を見ると,そこに写っている,夕日を浴び,自動車の波にもまれながら,それでも走りつづける市電の姿は,見る者に一種の哀愁さえ覚えさせます。遂に,昭和53年9月90日,京都市電は全線廃止となりました。 私たちは,時代遅れになったものを顧みることなく,忘却の彼方に捨て置いてしまいがちです。しかし市電は確かに京都市民の生活の一部でした。日本初という京都市電の栄誉も忘れるべきではないでしょう。市電は京都が発信した誇るべき文化の一つといえるに違いありません。

市電廃線後,京都コンピュータ学院創立者 故長谷川繁雄先生は,学院内に2両の市電を移設しました。先生は最先端のコンピュータ技術を学ぶ学生たちに,役割を終えた市電を通じて「文化」の意味を考えさせたかったのです。2両の市電には,ある時代を生きた人々の英知や思いが凝縮されています。学生がこの市電を通じて先人の営みに思いを馳せ,文化をつくるという技術者の使命を感じ取ることを,先生は期待していました。

京都コンピュータ学院では故長谷川繁雄先生の遺志を継ぎ,今後とも京都が誇るべき文化として2両の市電を保存していく所存です。また学生のみならず,多くの人々に市電の存在を知っていただきたく思っております。文化を保存し,後世に伝えていくことは重要なことですが,それには多くの方々のご理解とご協力が必要です。どうか京都市電保存の意義につきご理解いただき,皆様のご協力をいただけますようお願いいたします。

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