247年3月24日の夕,西に沈み行く太陽が欠け始め,細い弧になった状態で没するという日食が見られた。これを眺めた人々は「この世は終わり,もう明日の夜明けはない!」と底知れぬ恐怖に襲われたのではないだろうか。ころは邪馬台国の女王ヒミコの晩年のことで,ヒミコの死を示唆しているともいわれている。卑弥呼とは「魏志倭人伝」の作者の当てた字で,わが国では日巫女であろう。ここではどちらの漢字も使わずヒミコと記すことにする。この日食イラストは中西氏のページを参照
この日食記録が「魏志倭人伝」にあるのではない,いやどんな書物にもない。東京天文台(現国立天文台)の名誉教授斉藤国治氏の天文計算の結果でわかったことなのだ。この日食は西アジアから朝鮮半島沖までは皆既で見られる。わが国では,部分食であっても上記のような壮絶な光景は九州では見られるが,東へ行くほど貧弱になり,近畿では半分くらいしか欠けない。
邪馬台国がどこにあったか,ヒミコは誰かということについての調査研究は,300年前の新井白石に始まり,さまざまな説が立てられている。近畿・北九州はもちろん,はるかジャワまでの無数の候補地があるそうだ。所詮「魏志倭人伝」の短い文章の解釈だけで推察するにはネタ切れで,もう新説は難しいようだ。しかし天文計算という新たな手段を使えば九州に有利となる。
この日食は長く人々の記憶に残ったに違いない。それが語り部に伝承され,別の形で再現されてはいないだろうか?いや,ある,日本神話の中に。「古事記」「日本書紀」がともに記す高天原のハイライト,いうまでもなくアマテラスの天の岩屋戸事件だ。日の女神が隠れるというのだから素直に日食を連想できる。彼女は弟スサノオの数々の暴挙に怒って天の岩屋戸に籠もってしまい,この世は真っ暗になる。困り果てた神々は協議し,例のとんでもないショーを開いて彼女を引き出す。
ところで,岩屋戸事件の前と後ではアマテラスは別人のようだ。籠る前は乱暴な弟に,ほとほと手を焼いている姉であるが,引き出されて世界に再び光がさした後は,彼女は争いや些事には縁遠く人間味は薄い。スサノオ追放も彼女抜きの神々の協議で決まったし,後の天孫降臨もタカミムスビとの連名の神勅で下されている。
このことは安本美典氏がすでに「卑弥呼の謎」(講談社現代新書1972)で指摘していることで,私にはアマテラスの「復活・昇天」のように想える。
以上をつなぎ合わせると,多少の無理は承知の上で
九州にあった邪馬台国の女王で太陽神に仕える巫女であったヒミコは,亡くなる頃に起こった壮絶な日食により,死後は太陽神として崇められるようになった。その事件は後にアマテラスの岩屋戸隠れ伝承のもととなった。
ことが推定できるのではないか。
以上は横尾武夫氏の説(「天文教育」2001No7)に尾鰭をつけたものである。
なおヒミコの晩年にはもう1回大きな日食があり,それは翌248年9月5日の早朝に起こっている。しかしそのときには欠けた太陽が高く上ってくるにしたがって次第に復円していく姿が見られ,前年のような壮絶さは感じられない。ヒミコの死どころかむしろその後継者であるトヨ(イヨ?)のもとで平和がよみがえったことを表しているようだ。
この2つの日食については
井上筑前さんの邪馬台国のページを参照されたい。