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京都コンピュータ学院 全日制課程設置に際して
1970年 入学案内より転載

学院創立者 初代学院長 長谷川繁雄

学院創立者:長谷川 繁雄

1969年7月20日,人類は初めて月面に着陸して,現代が人類進化史の上で巨大な飛躍の時代である証左を示しましたが,このアポロ計画の成功をささえたシステム工学の発達が示すごとく,コンピュータ出現後の科学技術の進歩はついに人類の文明社会に一大変革をもたらせるに至りました。

現在,人類の文明は工業中心社会から情報産業社会へと転換しつつあり,それにともなって,政治・経済・文化・社会のあらゆる面において,旧来の価値体系の崩壊が起こりつつあります。

この変革の時代にあって,我々の学院は,わが国の経済発展段階に即応し,もっぱら社会的に有用な知識・技術の習得を重視して,基本的な知識と的確な判断力を備えた,創造性豊かな情報処理技術者を育成する専門技術教育を行おうとしています。

情報処理技術者育成のための組織的な教育は,広い分野に通暁した経験豊かな教師を求めることが不可能に近いため,一部の限られた大学を除いてはほとんど行われていないのが現状であります。

しかしながら,さいわいにして,本学院は京都大学理・工学部大学院博士課程出身のソフトウェア専門家をはじめ,第一線で活躍中の主任システム・エンジニアによる京都ソフトウェア研究会を母体とするため,優秀な教授陣を確保していますので,本学院独特の充実したカリキュラムによる専門技術によって有為な人材を育成し,苛酷な実務に耐え得る技術者を世に送り出すことができるものと確信しています。

我々の学院は,社会の要請にこたえる有能な情報処理技術者を育成することによって,わが国の情報処理技術の向上と関係分野の発展の基礎固めに貢献せんとするものであります。

1969年8月1日
初代学院長 長谷川繁雄

Founder, First President, Shigeo Hasegawa

On July 20, 1969, human beings succeeded in taking the first steps on the moon, and proved that the present days are a time of great leaps forward in the evolution of human history. The development of the system engineering technology which supported the success of the Apollo Program shows that the progress of scientific technology after the advent of the computer, has at last brought a revolutionary change in the civilization of human society.

In the midst of the course that human culture has been taking from an "industry oriented society" to an "information oriented society", conventional sense of values have been broken down in the fields of politics, economy, culture and society.

In this time of change, our school has always instantly responded to new stages of economic development in Japan by setting an importance on acquisition of the practical and technological knowledge needed by society; and by providing highly technical professional education which fosters creative information processing experts with fundamental knowledge and an ability to make precise decisions.

In the present situation, in the world of information processing, it is almost impossible for any educational institutions to find experienced lecturers who are well-versed in many fields.

Fortunately, however, our school was originally founded as Kyoto Software Study Group by a group of chief system-engineers who were actively involved in the forefront of research; including software specialists who graduated from doctorate courses in the Department of Science and Engineering at Kyoto University. As our school has secured excellent lecturers, I am convinced that combined with original and substantial material on special fields of technology, we can produce talented engineers who can handle severe business situations.

Our school has made a commitment to contributing to the progress of information processing technology and to the solidification of the foundation of relative fields through fostering capable engineers and scientists in information processing who can respond to the needs of our society.

This speech was made by our Founder, Shigeo Hasegawa on Aug 1, 1969, on the occasion of the opening of our full-time courses.

京都コンピュータ学院創立者 長谷川繁雄

独立独行のひと

京都コンピュータ学院・元鴨川校校長    

牧野澄夫    

ゲーテ詩碑

ゲーテ詩碑:学院創立者が最も愛した詩の一つである。

先生はユートピアとしての学校を,いつも夢みておられた。
京都コンピュータ学院は日本の中にあり乍ら,別世界でなければならない。
コンピュータという,人類史を変革する可能性を秘めたものに興味をもつ人が,その興味の故に集まっている場所であると。
かくして,先生は,まさに手作りのユニークな学校創造に邁進されたといえよう。
ユニーク,即ちこの世界にたった一つしかないもの,
先生はそれをこよなく愛された人であった。

京都コンピュータ学院 初代学院長,長谷川繁雄先生はself-madeの人であった。文字通りmade-by-oneself,自らを教育し,自らを創り上げた人であった。

勿論,学校教育の中で学生が受け取るものは,各自それぞれに異なる。その意味では,教育を受ける学生の方が,自ら選び取ったものだともいえよう。しかし乍ら,日本では特にそうであろうが,学校教育の中では,ややもすると,まさに受動的に先生の話を聞き,偉い先生であるという理由から無条件に受け入れることが多い。いわゆる注入式教育である。これに対し,先生は,断然そのやり方を異にしていたように思われる。先生は,まさしく,人の話を聞いてそれを受け入れるかどうかの判断を行うのは,あくまでも自分自身であるという主義を,生涯を通して貫かれた。

生前,先生から折にふれて,多くの話をお聞きした。ある時には,古代ギリシャの先哲の言葉,ある時には古代中国の荘子の言葉,またある時には仏教経典と,古今東西の先賢の言葉を引用されて,身を乗り出すように話されたのを思い出す。そのお声が今も耳底に残っているが,いつも共通して受ける印象は,そうした言葉が,先生の頭の中で精選され濾過されて,先生の血肉となっていることであった。丁度,美術のコレクターの中に,世評を一切無視して,あくまでも自分の眼だけを信じて独自の美的世界を創り上げた人があるように。あるいはまた,仏教に於て,身命を賭して経典を読み取ることが称揚されるが,丁度そのようにして,先生は本を読まれたのではないかと思われる。

先生は教育とは本来そうしたもの,つまりself-taughtでなければならないと考えておられた。更にself-help,即ち自助の精神こそが,教育には最も重要なものであると考えておられた。従って,それを学生にも要求された。教職員にも要求された。過酷なまでに要求された。

また先生は,「官と民」という言葉をよく使われた。先生は,その鋭い,まさに嗅覚の如きもので,官と民の混乱を感じ取られた。先生の考えでは,官と民は水と油の如く,決して交わらないものであった。判然と区別されるべきものであった。それに関してわが国の現状を批判してやまれなかった。日の本のこのおめでたい国に於ては,民(私)がすぐに官と錯覚する。あるいはすぐに,にじり寄ってゆく。民間にあり乍ら,どこまでも官のまねをする。先生は,官つまり権威,権力に頼る考え方を徹底して否定された。いやそれ以上に,憎悪された。先生は「民間」,「私立」という言葉を愛好された。

先生はよく言われた。「事情があって,大学へ行かない子,いやそれ以上に,自覚的に大学へ進まない子を教育するんだ。その子たちを,大学へ進んだものと肩を並べて,それどころか,それ以上の人間にして世の中へ送り出すんだ。京都コンピュータ学院は,そういう子たちが,各自お金を持ち寄って,ここまで創ってきたのだ。これからも,一人ひとりの学生が,自ら自分の学校を創ってゆかなければならない。私は,その手助けをしているに過ぎないんだ。」と。

先生はユートピアとしての学校を,いつも夢みておられた。今でも思い出す。'69年から始まった大学闘争の中で,京都大学から講師として来校する人たちも,政治信念から,二派,三派に分かれていた。しかし,一歩学院の中へ足を踏み入れたなら,そうした敵対関係は払拭してもらわなければならない。それを要求して,講師の人たちがそれに応えてくれたことを,何度となく,嬉しそうに話された。京都コンピュータ学院は日本の中にあり乍ら,別世界でなければならない。コンピュータという,人類史を変革する可能性を秘めたものに興味をもつ人が,その興味の故に集まっている場所であると。

かくして,先生は,まさに手作りのユニークな学校創造に邁進されたといえよう。ユニーク,即ちこの世界にたった一つしかないもの,先生はそれをこよなく愛された人であった。

先生は,その思想を本の形では残されなかった。残念なことである。しかし乍ら,我々には,先生の残された京都コンピュータ学院そのものが,先生の思想の体現であるように思われる。若き日に,サイバネティクスに大いなる感銘を受けられ,前述の如く,人類史変革の可能性を,いち早くコンピュータに見出された先生にとって,そうして,自助の精神を教育の根幹に思い定められた先生にとって,それはいかにもふさわしいことかもしれない。

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