望月と桜  

 今年(2008年)は3月22日の3時40分に満月となりました。旧暦2月15日,如月の望月です。東南の空に浮かぶまん丸お月さんは信楽のラオさんの提供です。
そこでこんな歌を思い出しました。  
 願はくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ
作者は平安末期の歌人,西行法師(1118〜1190)で,死を願うような有名な歌です。若くしてエリートコースである北面の武士となり鳥羽上皇に仕えました。同僚には同じ年の平清盛がいました。しかしながら,23歳で突然辞して出家し,奥州平泉から四国讃岐まで諸国を旅しながら,たくさんの歌を残しました。もっとも出家と言っても山寺に隠棲したのではなく,勅撰集に200首以上も歌を出していますから,公家との付き合いは続いていたようです。また,鎌倉に行って源頼朝に会ったり,晩年は源平合戦で焼けた東大寺再建の勧進をしたりしています。「同じ死ぬならお釈迦様の命日といわれる如月の望月に」と願って詠んだ歌で,実際に亡くなったのは二月十六日で,いざよひ月だったそうです。
 さて如月の望月(=2月15日)の時節に咲く花とは何でしょう。西行がこよなく愛した花は桜といわれていますが,2月中旬では桜も桃もまだ早過ぎ,やっと梅が咲き出したころです。しかし如月の望月は現行暦では3月中旬にあたり1190年の場合二月十六日は3月23日です。桜はまだ咲いてはいませんが,そろそろ蕾を膨らませるころですね。 なお百人一首には彼のこんな歌が載っています。  
 嘆けとけ月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
しかし彼の正直な気持ちは次の歌に現れていると思われます。  
 世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ我が身なりけり

ところで桜と言えば
    さくら さくら 
    弥生の空は 見渡すかぎり
    霞か雲か 匂いぞ出づる
    いざや いざや 見にゆかん
この歌は明治からずっと小学校で歌われてきていますが,3月弥生に桜が満開ということに違和感はなかったのでしょうか?3月のうちに桜が咲くようになったのは,近年の温暖化のせいであり,桜の花の見ごろは4月の入学式のころですね。弥生は現行暦では4月上旬〜5月上旬ですから桜花満開にちょうどいころです。 このように季節感と合わない例はまだまだたくさんあります。
さつき晴れ」からは5月のさわやかな晴天のことを想い浮かべますがでは,実は皐月はまるまる梅雨の月なのです。「さつき晴れ」とは鬱陶しい梅雨の合間の晴れの日を表した言葉で,五月雨(さみだれ)とはまさに梅雨です。6月は水無月,水がない6月なんて変ですね。水無月は梅雨が明けた後のからりとした夏です。
7月7日の七夕については別項をご覧ください。9月9日は重陽の節句ですが,実際にはまだ残暑厳しいころで,菊はまだ咲いていません。12月師走になると学期末で先生は忙しく走り回るとか言われたものですが,これも1ケ月余りズレています。師走とは現在で言うと1月〜2月で,それこそ生徒の進路,入試結果の明暗などで教師にとって最も忙しいころかもしれません。
赤穂浪士の討ち入りの夜は大雪だったそうで,元禄十五年十二月十四日=1703年1月30日のことです。1年で最も寒いころ,大雪の夜というのも理解できます。なお松の廊下事件の起こったのは元禄十四年三月十四日,現行暦では4月21日です。
 このように考えると旧暦は不合理で実生活には不便といわれていますが,なかなか味わい深いものです。